与えない者は得られない
異常な寒波に見舞われたニューヨークは、
早くも11月にもかかわらず、
記録的な寒さとなった。
師走に向かうこの慌ただしい時期に、
東京をはじめ日本からの来客が殺到し、
その対応に追われた。
ビジネス上のアテンドは確実に自分の利益に繋がるわけであり、
納得もできるが、ニューヨークに私がいるというだけで、
連絡をしてきて、案内を求める客には多少、疲れを感じている。
本当に親しい友人であるならば、こちらから積極的に対応するのだが、
○○さんの友人ですと、全くお会いしたことのない人が突然、
尋ねられてもこちらとしても、多少の戸惑いを感じえない。
昨日のことだ。
ある地方都市から来られた中年女性が
「○○さんの紹介で来ました。案内をしてください」
「この日、ブロードウェイでミュージカルに付き合ってください」などと、
まあ、厚かましい要請を立て続けに小生にしてくる。
一刀両断に断ればよいのだが、知人が間にいることを考えれば、
そこまでドラスティックに割り切れず、
ついつい、「食事くらいなら」と応諾してしまう情けない自分がいる。
それも問題である。当然、ミュージカルなどは断った。
当然、女性には食事で割り勘などは、自分の考えにはない。
ミッドタウンのそこそこのレストランにご案内し、
彼女の通訳も行う。
イタリアンの食事をしたあと、彼女の要請で夜景スポットを案内したあと、
さらに、ホテルまで送迎した。
ここで”失礼します”と思ったところ、
バーにまで誘われ、深夜まで時間を奪われた。
失敗だった。はっきりと断らない自分にいらだった。
薬にもならない毒にもならない時間を費消し続け、
金まででていく。
こちらからそのお礼を求めるつもりは全くないが、
その女性からお返しすらない。
人は与えられれば、それに応じたお返しをするのが、
当たり前であると私は感じている。人に世話になること、その世話になる人の
時間と金を奪っているということすら感じることができないほどの無頓着さには、
呆れてしまう。その知人に私の情報を伝えた友人にも多少、驚きを禁じ得ない。
この友人と知人とは、もう2度と会うことはないだろう。
人の好意に甘え、何の躊躇もなく甘えてくれる人間と付き合うことに、
あまり意味もないだろう。それに気づいただけでも、今回、
収穫があったと前向きに考えるべきだろう。
時間は有限である。
意味のない付き合いをするほどの余裕などないはずだ。
人は選ばなければならない。筋を見間違えてはいけない。
猛省を促す結果となったが、いい教訓を頂いた。
有難い。