強欲人生を加速!ラグジュアリーLifeを求めて

旅、日々の学習、そして、ラグジュアリーLifeの実践。野心を抱いた挑戦の記録を残せればと。人生一生青春、一生勉強。

生きる意味とは創造のプロセスの最中に存在する

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イーストリバー沿いの反対方向から眺める夕方のマンハッタンは、

お気に入りの場所である。

時として、

この風景は、センチメンタルな気分を容赦なく呼び込む。

 

その度に、ついつい過去を振り返ってしまう。

 

 

昨年9月末に退職した。

 

新聞社を経て当時の会社に入ったのは1990年4月、

およそその会社に24年間お世話になった。

 

会社を辞めた理由はいくつかあったが、

選択と自立的な判断を通じて、

自分の人生を再度、

セットアップしたかったのが大きな理由であろう。

 

当然、組織の中に入れば、理不尽なことも多い。

理不尽などどこにでもあることで、

これを理由に辞めていれば切りがないはず。

 

仮に、その理不尽に耐えられないということであるならば、

それを打開するには2つの方法しかない。

一つは、自分がルールを作る側に立つこと。

即ち、それは自分が権力を握ることでもある。

 

もう一つは、その組織を離れるということだ。

 

そんなに難しいことではない。

 

私は自分で言うのも手前味噌ではあるが、

社内外で評価を受け、

世間的にはエリートに近い路線を歩いていた。

 

人生に確実性などないもので、

経営との確執、社内のガバナンスの欠如等により、

私が多少なりとも、会社を見限りはじめ、

会社との対立が目立つようになった。

 

当然のごとく、私は全く経験のない部署に追いやられたばかりか、

役職まで外され、

社内失業者と同然の生活を余儀なくされた。

 

しかし、給与まで奪われるものではないゆえ、

しばらくゆっくりこの生活を逆に楽しもうと、

自分の中で腹をくくったのだが、

やはり、生活は楽しくはない。

 

生活の安定のためだけに、

定年までの時間を殺すような暮らしを送るということは、

絶対にできるわけがないと確信しはじめた。

 

その時から、

会社を辞めるというための現実的な計画、判断をするようになった。

 

確かに、生活の安定を維持するということを考えれば、

会社に居続けなければならないのかもしれないが、

会社に居続けることにより、

時間というかけがえのないものが、

空虚に奪われることのほうがリスクでもある。

 

この成熟した社会で野垂れじぬ事などありえない。

そう開き直ったときから、

会社を辞めるということに躊躇はなくなった。

自分の人生を作るんだとね。

 

Life is what you make of it

 

東京とニューヨーク往復する慌ただしい生活の中で、

旅先でふと感じる孤独感がとてもたまらなくいい。

 

それは自由を感じ取ることができたからだ。

 

人は自分の人生を生きるべきであり、
生きるとは創造のプロセスの最中に存在することだと、

 

確信している。

 

勇気をもって果敢に生きていきたい。